【2010年08月03日】 タイトル: 研修医日記 vol.110
 あるところにひとりの少年がいました。少年は小さい頃消防車やバスが大好きで、保育園の帰りにはバスターミナルに止まっているバスを時間を忘れて眺めているような子供でした。少年はラジオやテレビの中身にも興味がありました。ドライバー片手に家電製品を分解しては両親に怒られていました。
ある日、少年は両親からゲルマラジオという、最も単純な構造をしたラジオのキットを与えられました。少年はそれ以来電気回路に興味を惹かれるようになり、自分で何台もラジオを作ったり、壊したりをくりかえしていました。思えば、このころからiPadの運命だったのかもしれません。

時は過ぎ、少年は高校受験を迎えました。いまひとつ勉強が好きではなかった少年は進学校だったひろまえ高校の受験に失敗してしまいます。少年は仕方なく東欧義塾という高校に進学しました。さすがに高校受験に失敗したのが堪えたのか、少年は一所懸命勉強しました。「大学に入ったら遊べるから今は勉強しろ。」という先生の言葉を本気で信じていました。
3年後、少年は東凶理科大学という大学に入学しました。高校の先生の言葉を真に受けて遊び呆けた少年は1年生を2回やるという憂き目をみます。全く勉強せずに受けた数学Bの試験では12点という自己新記録でした。少年が、自分の大学が高い留年率で有名だったことを知ったのは留年したあとのことでした。でも留年率が高いのは山手線のど真ん中に大学があるせいも大きいと思います。 

留年した1年間は、少年にとって自分の将来を考えるにはちょうど良い機会になりました。「このままずっと電気を勉強して、機械相手の仕事をするのもいいけど、やっぱり人を相手にする仕事がしたい。」。ぼんやりとそんなことを考えていました。
大学2年生の春休み、たまたま帰省していた少年は地元紙の医師不足の見出しを目にしました。「医師なら直接人のためになる仕事だし、地元にも帰れるよな。一応長男でもあることだし。」。少年の心は決まりました。
かくして少年は2つの大学を計9年間かけて卒業し、とある総合病院で研修医として働き始めました。しかし少年は電気の呪縛からまだ逃れることができなかったのです。詳しくは割愛します。
 それでも、少年は思っていました。「なんか医師としての仕事とは直接関係のないこともやってるけど、自分の勉強してきた電気系の知識をほかの皆のために役立てられるならそれでもいいかな。」、と。

この日記はフィクションです。僕のことではありません。

研修医1年目 福士 謙