【2012年02月01日】 タイトル: 研修医日記 Vol.185

 こんにちは。研修医2年目の太田です。今回で研修医日記の登板も最後になります。
 2年間の総まとめという事で、今回はいままで何度も触れていた趣味の釣りについて語ります。

 魚が欲しければ魚屋に行きます。これが合理的な手段です。一番安くて一番早い。
魚が欲しい人が釣具屋に行く。これは合理的な行動ではありません。むしろバカがとる手段。それでも時間とエネルギーをかけて釣りに行くのは、魚を獲るための過程が楽しいからです。過程を楽しむため、多くの釣人は自分のやる釣りにこだわりと哲学を持っています。

私の釣りに対する哲学は以下の2つにまとまります。

A:魚がいない所では、魚は釣れない。
B:釣り針が水の中にない限り、魚は釣れない。

「事実」として、この2つに反論できる人はいないでしょう。魚がいない海から魚を釣り上げることはどんな名人でも不可能です。しかし「全然釣れない。魚がいないんじゃないか?」といって釣りを中断し、海を眺めながらコーヒーを飲んでいる時は絶対に魚は釣れません。釣り場に行って、糸を水面に垂らして初めて魚を釣る可能性が出てくるわけです。大物を釣り上げる僅かな可能性に賭けて、釣り人は釣り場に通います。
Aの格言は釣りに対する「冷静」を表します。魚がいないのに釣れるわけがない、どれだけ頑張っても釣れないのです。
Bの格言は「情熱」を表します。釣れないからといって諦めない。何が何でも釣ってやる、という熱意があってこそ大物は釣れるのです。
「冷静」と「情熱」。AとBの格言は、釣り以外にも人生のあらゆることに適用することができます。この2つの格言を医療について適用して研修医日記らしい文章を書こうとも思ったのですが、今回はあくまでも釣りの話です。

 Aの格言について、意地悪な人は「それは魚が釣れなかった時の言い訳」と言います。しかしそれは違います。Aの格言は、魚がいる海を探す旅の出発点なのです。
 私が釣りで狙う魚は、ブリの子供、サワラ、サケ、スズキなどの回遊魚が多いです。その群れに遭遇すれば、釣れる可能性がグッと上がります。そのかわり回遊が来なければまず釣れません。いかに回遊が来る時期と場所を推理し、情報を集めるかが勝負になります。
 
 魚がそこにいるのかどうか?これは現場で直接確認するのが一番確実です。他の釣り人が魚を釣ったのを見るのが良いのですが、それ以外にも証拠はたくさんあります。
多くの釣り人は、どれだけ水面が波立っていても魚がつくる波紋を見つけることができます。波の音がどれだけ大きくても魚が跳ねる音は聞き取れます。砕ける直前の波頭の中に泳ぐ魚の姿も見ることができます。堤防に血痕が残されていれば、それは数日以内に誰かが大きな魚を釣り上げて血抜き処理をした証拠になります。墨の跡が残っていれば、イカが釣れた証拠です。手がかりはそこら中にあるのです。

直接の証拠がなくても、聞き込みという手段があります。他の釣り人や釣具屋の店長に、どこでどんな魚が釣れたかを聞くのです。釣れた日時と釣った方法まで知る事ができればなお良いです。
しかし残念ながら、釣り人は、しばしば嘘をつく人種でもあります。

 釣り人が嘘をつく理由はさまざまです。自分の開拓したポイントを他の釣り人に荒らされたくない、ちょっと見栄を張りたい、釣り下手だと思われたくない、などです。
しかし、釣り人の釣りに関する嘘は、世の中で最も許されるべき嘘のひとつです。麻雀をやっている時のポーカーフェイスは非難されません。釣り人が釣りの帰りに魚屋で魚を買って、それを釣ったと主張したとしても、許されていいと思います。
でも聞き込みをする時は用心する必要があります。聞き込みは嘘つき達との勝負です。私は釣り人に話を聞く時は、喋る内容の整合性はもちろんのこと、声の調子や眼球の動き、瞳孔の大きさの変化などにも注意を払います。

そうやって証拠を集め、聞き込みを重ねた結果、魚がいる海にたどり着けます。ここまで来れば半分は釣ったも同然です。それからルアーの種類、ルアーを引く深さや速さ、動き等について更に試行錯誤を重ねて、ようやく目的の魚を釣り上げます。かかった魚が海面近くまで上がってきてその魚体がギラッと光る時、興奮は頂点に達します。古畑任三郎や金田一少年が、物語の最後に容疑者を集めて謎を解説しながら真犯人を追い詰める、そんなシーンと同じような興奮です。この興奮は、魚のいる海を見つけるところから苦労してこそ味わえるのです。
そしてこの興奮を味わうためには、Bの「情熱」が必要不可欠なのです。

 他にも釣りの楽しみはたくさんあります。夜明けの海の美しさは、実際見なければ説明できません。水中を泳ぐイワシの群れは、陸上から見ても圧巻です。足元に生える野花も、その朝露に濡れた花粉を求めて飛び回るハチも、とても可愛いです。魚を釣ってこそ釣り、ですが、釣れなくてもそれなりには楽しいのです。

 どうですか?釣りの楽しみが少しはわかってもらえましたか?
 行きたくなったらいつでも声をかけてください。朝四時半に迎えに上がります。


研修医2年目 太田 圭一